1月17日に寄せて

……と言っても、4年目の今年、今、私があらためて書き綴るべきことって何
なのでしょうか?基本的には、昨年掲載したメッセージと同じです。

しかし、やはり今年も何かの形で多少なりとも、被災地外の方々にメッセージ
を送りたいという気持ちは変わりません。そこで、被災地の方々には、もう必
要のないことですが、遠方の方々に向けて、この場で当時の写真を数枚掲載
してご覧いただこうと思います。ただし、当時テレビや新聞に載った報道写真
ではなく、私の実体験レベルに即した、私自身が地元・芦屋市で、我が家の
周辺で撮影したものです。つまり、他人事のような世間の報道写真ではなくて、
私を知る方々にとっては、「あなたの知人・友人の写真」なのです。

↓ホームや屋根が崩れ落ちたJR芦屋駅
(電車運行時だったら、さらに大惨事に!?)

↓駅前の専門学校の校舎が全壊
(授業中だったら100人単位の死者が?)

↓JR芦屋駅周辺の様子です


↓以下、Marianの自宅周辺の様子を撮影したものです。


 
 


シャッターを押すうちに、覗くファインダーがいつしか涙で歪んでいました。本
当は、家から10分と歩かないうちに、もっと凄まじい現場もありました。けれ
ど、報道者でもない1住民の私には、カメラを向けるのが憚られ、とても撮影
することができませんでした。
あれから4年。まだまだ「終わっていない」方々がたくさんいらっしゃいます。
私事ですが、我が家にも震災の傷痕を残す家具や電気製品がまだ残ってい
て、すっかり買い替えが終わっているわけではありません。(ま、ウチはその
程度のことで問題外ですが…) 家が半壊して体調を崩して入退院を繰り返し
ていた西宮市の伯父は、傾いた家を建て替えることもないまま1か月前他界
しました。
あちこちに新築ビルが立ち並び、すっかり綺麗になった神戸の街を訪れて、
「神戸はすっかり復興した」と喜んでくださる来訪者の方々に、被災者たちの
心の傷痕が見えますか?
震災後、仮設住宅での「孤独死」は昨年末までで227人(病死200人、自殺
19人、事故死8人)。もう3年を過ぎた…という昨年1年間だけでも39人です。
一方、モニュメントの建設や、震災遺児の施設等では一千万円以上の資金
難だが、もはやカンパが集まらないとのこと。

あれから4年。

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