風のように……


19××年 20歳の旅ノートより
(某大学サークル「旅の会」機関誌に掲載の原文のまま)


−1−

頬に吹きつける風の意外な冷たさに あなたの心を見たような気がしました
もうに二度と逢えないでしょうか
やさしかった日々、甘えていた日々、いつのまにか腕をすりぬけて……
落葉の音にふっと気づいて振り返ってみた時には
ふたりの笑顔は淋しくすれちがい
季節の変化を告げる風が疲れた心を吹きさらってゆくのです
いつでも最後はそんなふうにして終わってゆくのです

もう二度と逢えないでしょうか……
(19××年1月5日/奈良・浄瑠璃寺にて)

−2−

幾度も幾度も季節がめぐり変わっても
たったひとつ
変わらないものがあると思っていたのに
そんな日はもう過ぎてしまったのでしょうか

どんなに淋しくても
もう振り返るのはやめましょう
涙を誘うだけ……
(1月5日/岩船寺にて)

−3−

本当は行き先なんて何処でもよかったのかもしれない。ただ独りで見知らぬ山里を歩いてみたかっただけなのだから……
昨日の夜行列車で東京を発った…… 初めて訪れる古都。静けさを求めて山の古径を歩き、古いお寺に足を留めてみた。鉛色の空。いつのまにか降り始めた雨に髪も肩も…… そして心までも濡れてしまいそうだ。こんな季節に冷たい雨のなか、こうして静寂に包まれたお寺に独りでいると、遠く過ぎ去った日々のいろいろな想いが胸をよぎるようで、せつなさに耐えかねて泣きたくなってしまう。
a sentimental wanderer! いつのまにか独り歩きを覚えてしまい、いつのまにかもう、幼くて楽しかったあの頃の私には戻れなくなってしまい…… 無邪気に笑っていた懐かしい人たちも、みんな大人になってしまった。
心をおちつけたくて仏像を眺めても悲しくなるばかり…… これから何処へ行こうか……
(1月5日/再び浄瑠璃寺にて)

−4−

夕暮れの里
すれちがう人もいない山のみち
単調に続く冬景色をながめながら
ひとり、ゆっくりと歩いて行く……

静けさ
そして寂しさ
(1月5日/正暦寺にて)


−5−

けさ早く正暦寺の宿坊を出発。あてのない旅。バスに乗って地図をひろげ、なんとなく目についた室生寺へ来てしまった。名前が気に入ったせいもある。市街地からはずいぶん離れたところで、室生山の中腹、三重県境にも近いようだ。さっきまでの雨がここでは雪になっている。山に入るにつれ段々はげしくなってきた。吐く息も白い。お寺自体はなんとなく馴染まないのだけれど、まわりの山がいい。それに雪のなか人影もまばらで、とてつもなく遠いところに来てしまったような気がしてくる。淋しい。
(1月6日/室生寺にて)

−6−

ひとり、くちずさむ……

悲しみに出会うたび あの人を思い出す
こんな時そばにいて 肩を抱いて欲しいと
慰めも涙もいらないさ ぬくもりが欲しいだけ
人はみな独りでは生きてゆけないものだから


−7−

まだ雪がちらついている。399段あるという廻廊を登りきって本堂から五重の塔を眺めている。さっきからもうずいぶん時間が経っているのだけれど、ちっとも飽きない。ふらふらと気の向くままに足を運んでいる旅だけど、今夜泊まるところさえまだ確保していない旅だけど…… 妙に心がおちついてきて、いつまでもここにこうしてじっと座っていたいような気持ちだ。今は肩に降りかかる雪の冷たささえも快く感じられる。
(1月6日/長谷寺にて)


−8−
夕闇。降り続く雪のなか飛鳥寺を訪れる。静かだ。他に訪れる人もいない。仏像の前に座って、しばし姿勢を正す。独り旅の淋しさのせいか少し人恋しくなってきたので、絵葉書を買って何人かの友人たちに新年の挨拶をしたためた。それにしても本当に静かだ……

「飛鳥」と書いて「あすか」と読む。「安宿」からの転化だという説がある。大陸からの帰化人たちは、玄界灘を越えて北九州に着き、さらに瀬戸内海の島々の間を縫って大阪湾へ。そこからさらに大和路に入り、やっと辿り着いた安住の地としてここを「安宿」と呼んだそうだ。それはあたかも季節の渡り鳥が遥かな飛翔の末に羽を休める安住の木立を見つけたにも似た気持ちであったに違いない。だから「あすか」という地名は飛ぶ鳥を連想させたのだ。その連想がいつしか「飛鳥」と書いただけで「あすか」と読ませるようになったのだといわれる……

もうすっかり暗くなってしまった。今夜はこの村の民宿に泊まる。土地の人と少し話してみようか……
(1月6日/飛鳥寺にて)

−9−

…………………………………………
…………………………風のように
独り…………
(1月7日/飛鳥・甘樫丘にて)

−10−

生きている歓びをかみしめるために、そして悲しみも哀しみも…… すべてかみしめるために私は独り旅に出たのだ。忘れるためではなく、かみしめるために…… 心の欲するままに…… そんな私の大和路の短い旅もきょうで終わり。これから京都に向かう。そして、京都から夜行バスに乗りこもう。明日の朝、東京へ帰り着く。そして、そのまま学校へ。新学期、久しぶりの授業へ。忙しい“日常生活”へ……

いつの日かまた訪れよう。心に残るであろうこのお寺を…… そしてその時こそは、もっと強くなってもっと大人になって……

想い出を追い求めるのではなくて
新しい明日を見つけるために!
(1月7日/唐招提寺にて)



Marian編集注:本文中、−6−の詩は、山川啓介作詞・いずみたく作曲

『ふれあい』の歌詞引用です。



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