実は私はあの「うさぎと亀」の物語にあったあの亀です。 もうあの出来事から50年近く経ってしまいましたが、あの話が いまだに語り継がれているなんて、はなはだ恐縮しております。 ところで私に対する批判があるという話を聞きまして、ちょっと一言お話をしたくて、メールを出します。 そもそもマイペースをモットーとしているのはウサギのほうではなくて 亀のほうです。「ウサギはウサギの速さで跳ね、亀は亀の速さで 歩めばいい」というのは私が日頃から言っていたことなのです。 なんていったってそのくらいのマイペースでなければ、100年という 寿命は絶対に達成出来ませんよ。 ところがあの日、ウサギは私にレースを挑んできました。 私は、はなから相手にしなかったのですが、 「おまえは世界で一番のろい」とか言って盛んに私を挑発しました。 私にだってちゃんと自尊心と言うものがあります。 頭脳や理性では絶対にウサギに負けないと言うプライドがあります。 でも誰だってあそこまで徹底的に侮蔑されたら、負けるとわかっていても あの勝負受けるしかないじゃないですか。 受けなきゃ、きっとウサギは私のことを卑怯者だ弱虫だとこき下ろすに 決まっています。 長い間には損得や勝ち負けを度外視して、我慢して勝負に 挑まなくちゃならない時があるのです。 正直あのレースは私は勝てるとは絶対に思っていませんでした。 だってウサギの方が私より100倍くらい速く走れるのですから。 そしてたまたま私は勝ちました。 そのことに対しては誰からも文句を言われる筋合いはありません。 勝ったということは純然たる事実だからです。 ただ後世の人が勝手にその話を美化して語り継いでいるだけで あの勝負においての私を責めるのは全くのお門違いというものです。 ウサギが寝ているのを何故起こさなかったかという指摘が あったと聞きますが、もしウサギか怪我をしていたり、 気分が悪くなっていたなら絶対に助けました。 また、ゴールの時間によっては夕暮れになって危険が 生じるような事態だったなら、やはりウサギを起こしたと思います。 でもあれはレースだったのです。 マイペースが私のモットーと先ほど言いましたが、マイペースで レースに臨んでいる私が、やはりマイペースで走り途中で 眠っているウサギのぺースを乱すのは却ってフェアでなくなって しまうのです。 考えてみて下さい。人間のマラソンだって先行逃げ切りのタイプも いれば、最初はおさえて後から追い上げるタイプもいます。 自分が先行タイプだからって追い上げタイプの人を途中で後押し したら絶対に相手にダメージを与えますよね。 あのレースだって、休息中のウサギを起こすことは一見善行に 思えますが、却って睡眠を中断させるというダメージを相手に 与えてしまう可能性も大なのです。 それこそウサギは放っておけば十分体力回復をはかって、 私のゴールの10センチ前で逆転する可能性だって大なのです。 そういう作戦ではなかったみたいだというのは、あのレースが 終わって初めてわかったことなのです! ウサギを起こすべきだったという指摘は独善というものです。 ウサギはウサギの速さで跳ね、亀は亀の速さで歩めと 言いながら、途中で相手を起こすべきだとも言うことに矛盾を 感じませんか? 最後にもう一言いわせていただきます。 私はたとえそれが事実であろうと誰からも「のろま」とは 言われたくはありません。 それは言葉による「暴力」といいます。 そのような相手を深く傷つける言葉を平気で発する 人がもしいるならば私は心からその人を軽蔑いたします。 厳しい現実の世界ではほとんどの場合ウサギが勝つ というような指摘をする人もいると聞きますが、 あのウサギは40年も前に死んでしまいました。 動物の世界においては勝ち負けを論じるのは空虚です。 多分人間の世界も同じじゃないかと私は思っています。
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