≪Marianのひとりごと≫

1999年

 

(8月13日)

『人類史上唯一の被爆国である我が国は…』 今年8月6日の広島原爆忌
での、小渕首相のあいさつのなかの一文です。

第二次世界大戦後、マーシャル諸島での施政権を得たアメリカ合衆国は、
1946年7月から、12年間に67回にも及ぶ核実験を行ないました。54年
3月、ビキニ環礁での水爆実験「ブラボー」では、広島の1000倍の規模で
爆発し、島民は死の灰をかぶりました。(日本の第五福竜丸の被爆でも有
名な実験です。)島を追われたビキニ島民たちは、68年に帰島するものの、
残留放射能のため安全な生活ができず、再び疎開し、現在も、ビキニ島民
の約半数は“監獄島”とも呼ばれるキリ島で生活しています。しかし、そこで
は、自給自足生活はできず、食糧援助に頼っているのが現状で、また、生
れてくる子供たちにも手足がなかったり、白血病、栄養障害などが多く、悲
惨な現状が今も続いているとのことです。
小渕首相よ、これを『被爆国』と呼ばず何と呼ぶのですか? (まして、彼ら
は“参戦国”でなくして被爆したのです!) 『私たちの苦しみがまだ足りない
というのか… 美しい太平洋での核実験は許せない…』 これは、1995年9
月にフランスがムルロア環礁で核実験を始める直前に、マーシャル諸島共
和国の代表が国連で訴えたメッセージです。一国の首相として、『唯一の
被爆国である我が国』などという認識は捨てて欲しいものです。まず日本こ
そが、この、既存のメディアにのり難い人口数万の南太平洋の小さな島国
の被爆者たちのことをいちばん理解し、ともに手を携えて反核を訴えるべき
ではないのでしょうか?

(6月8日)

遅ればせながら、昨年話題になっていたアメリカ版「ゴジラ」をビデオで見ま
した。私は日本の「ゴジラ」はわずかしか見たことがありませんが、それでも、
日本のゴジラフリークたちが「あれは、もはやコジラではない!」と嘆いたと
いうのが理解できました。何年も前に聞いた話では、ゴジラ映画の制作権を
アメリカに認める場合の条件は、ゴジラが「核」の産物であるという設定を変
えないことと、外観を変えないこと…ということのようでした。でも、今回公開
されたアメリカ製のゴジラは、かなり外観を変えていました。中に人間が入っ
た日本のゴジラの“着ぐるみ”そのままの外観や動きとはガラリと趣きを変え、
コンピューターグラフィック時代のゴジラになっていました。ものすごい速さで
戦闘機から逃げ回り、走り、泳ぐのです。一説には、日本のみならずアメリ
カにもゴマンといるゴジラマニアたちに、外観の変わった新型ゴジラのキャラ
クター商品を売る(つまり商標権で莫大な利益をあげる)ためとも聞きました。
それにしても、ビデオを見て感じたのは、変化したのは外観や動作ばかりで
はないようだ…ということです。自衛隊なんか歯もたたない日本のゴジラ(私
が見たゴジラはモスラにやっつけられていました)には、なにかロマンのよう
なものがあったような気がして… ま、怪獣にロマンというのもなんですが、そ
の点、ミサイルを浴びて息絶えるアメリカ版「ゴジラ」(ラストシーンは「キング
コング」のラストシーンを連想させました)にあるのは、結局、最終的には人間
の優秀な頭脳と強大なる軍事力で解決できるという、いつものアメリカ映画の
根底にある価値観そのものでした。そういえば、去年見た「インデペンデンス・
デー」というアメリカ映画も、アメリカが世界の中心であり地球を守るのはアメ
リカの軍事力であるといわんばかりの映画で、私は「ええかげんにせ〜っ!」
と思ったものでしたが……

 
 

(4月2日)

涙があふれて海になる。
そして、私は海の底へ深く深く沈んでゆく。
心の重さのままに深く深く……

海の底は冷たいよ、寒いよ、暗いよ。
とってもさびしいよ。

息を止めたらこのまま死んじゃうのかな、私……

(3月21日)

あなたは、やさし過ぎるんです。
誰をも傷つけまいとするその溢れる善意が
オブラートになって何もかもやさしく包み込んでしまうから
問題の本質がうやむやになったまま終わってしまうのです。
そして私の傷口は、オブラートの中で人知れず化膿してゆくのです。
そのやさしさ故にかえって傷つく人もいるってことに気がついてください。
いっそのことナイフを突き立てて傷口から膿を流してくれるほうが
今の私には本当のやさしさかもしれないのに……

 
 

(3月21日 某メーリングリストへの投稿より)

ウサギとカメのかけっこのお話がありますよね。童謡を思い出してください。
♪もしもしカメよ、カメさんよ〜、ってやつです。あれは、「おまえは、どうして
そんなにのろいのか」とウサギに馬鹿にされたカメが、「じゃ、かけっこして勝
負をつけよう」と、ウサギに勝負を挑むのです。その時のカメには勝算があっ
たのでしょうか? これは、私の人生における10本の指にもはいる永遠の謎
なのです。ふつうに考えたら、ウサギの方が早いに決まってる。でも、カメに
はウサギの「居眠り」を計算にいれた勝算があったのでしょうか?(だとした
ら恐るべきカメ!) それとも、負けを覚悟で勝負したのでしょうか?(それな
らなんのために?) 勝負を挑んだのはカメの方からなのです。 私にはどう
してもわからない謎です。そして、この話は、もしウサギが勝っていたらどう
なっていたのか?どうもなっていなかったでしょう。 カメが勝ったから「お話」
として語り継がれ存在し得るのですよね。生まれながらの能力だけの問題
じゃない、こつこつと地道な努力を惜しまなければ、のろまなカメでさえ最後
はウサギに勝てるんだという教訓となったのです。だから皆さん、カメになり
なさい… と。そう、「カメになりなさい…」それが私たちの受けてきた教育でし
た。そして、眠りこけたウサギを追い越して行く時、声をかけてやらなかった
カメの醜さを誰も教えてくれませんでした。でも、今の私なら… ニンマリしな
がら(こういう状況をカメが予測して勝負を挑んでいたのなら、それこそ、ほ
くそ笑みながら?)ウサギを追い越していくカメの醜さに嫌悪を感じます。相
手の居眠りによって得た勝利に虚しさを覚えます。いいえ、それ以前に、「の
ろま」って馬鹿にされてもいいじゃないか、ウサギはウサギの速さで跳ね、カ
メはカメの速さで歩めばいいのだよ… と思います。本当の真剣勝負はそん
なものじゃない… と。もちろん、「勤勉」を否定しているのではありませんよ。
ただ、カメはカメでいいじゃないか… と。残念ながら、厳しい現実の世界の
かけっこは、殆どの場合、ウサギが勝つのです。カメの本当の人生経験は
ウサギに負けたところから始まるのではないでしょうか?ウサギに勝ったカ
メなんて、私は、嫌いです。

「アリとキリギリス」の話も同じような「勤勉」の教訓です。夏じゅう必死に働い
て食料を蓄積したアリは、冬が来ても困りませんが、夏じゅう、音楽を奏で遊
び呆けていたキリギリスは、冬になって飢えてアリに物乞いするが、自業自
得と冷笑されて追い払われ飢え死にするのです。そして、教師は言います。
「アリになりなさい…」と。でも、私なら、「キリギリスに説教した後、食べ物を
分け与えてやるアリになりなさい」と教えたいです。「時にはキリギリスの音楽
も聴いてみるアリになりなさい」と。もちろん、勤勉は美徳です。世の中の大
部分の人にアリの勤勉さがあるからこの世はちゃんと動くのです。でも、キリ
ギリスを見殺しにしたアリには、一生、キリギリスの「芸術」は理解できないで
しょう。キリギリスの存在がなかったら、音楽も文学も芸術もこの世に存在し
なかったでしょう。(あ、芸術が勤勉の対極にあるなんて、そんな短絡的なこ
とじゃないですよ) 私は、自分の力を過信して油断して負けた愚かなウサギ
をいとおしくさえ感じるのと同様、夏の間じゅう音楽を奏でてやがて野垂れ死
にしたキリギリスもいとおしく感じます。楽器を置いた働き者のキリギリスなん
て想像したくないし、自分たちだけ生き延びたアリなんて、私は嫌いです。

童話の世界を単純な勧善懲悪の「教訓」として読まずに、すなおに「物語」と
して読んでみると、そこにもっと別な「人生」が見え、「文学」や「芸術」を感じ
る… なんて大袈裟でしょうか?

カメは勝算があって勝負を挑んだのでしょうか、私には永遠の謎です。

カメさんからのメッセージ(4月2日掲載)

 
 

(198×年2月14日の日記より)

【つれづれなるままに詠みし連句の……いとアホらし?】

喧嘩して二人の仲に雨が降る

雨降って地固まると人の言う

仲直りできずにきょうも降り続く

最後まで地固まらずに土砂崩れ

……あいつ、生き埋めになってないかしら?

(1月21日 某ラジオ番組に書き送って読まれたファックス)

君の瞳に星が輝いているよ
なんて綺麗な宇宙なんだろう!
ほら、きらきら光っている
あ、泣かないで…… 流れ星になってしまうよ!

な〜んてことは一度も言われたことがないっ!

 
 

(1999年1月15日)

年賀状… 家族の写真……
子供たちの姿がまたひとまわり大きくなって
いつも印刷文の余白に書かれていた数行の手書きのメッセージが
いつしか1行の決まり文句になり
それさえも今年はなくなって活字が並んでいるだけ
あの人もすっかり家庭の良きパパなんだろうなぁ
もう遠い想い出のなかの人
それなのに律義に届く年賀状……

それにしても年賀状さえくれないアイツはどうしているのだ!?

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