『人類史上唯一の被爆国である我が国は…』 今年8月6日の広島原爆忌
での、小渕首相のあいさつのなかの一文です。
第二次世界大戦後、マーシャル諸島での施政権を得たアメリカ合衆国は、
1946年7月から、12年間に67回にも及ぶ核実験を行ないました。54年
3月、ビキニ環礁での水爆実験「ブラボー」では、広島の1000倍の規模で
爆発し、島民は死の灰をかぶりました。(日本の第五福竜丸の被爆でも有
名な実験です。)島を追われたビキニ島民たちは、68年に帰島するものの、
残留放射能のため安全な生活ができず、再び疎開し、現在も、ビキニ島民
の約半数は“監獄島”とも呼ばれるキリ島で生活しています。しかし、そこで
は、自給自足生活はできず、食糧援助に頼っているのが現状で、また、生
れてくる子供たちにも手足がなかったり、白血病、栄養障害などが多く、悲
惨な現状が今も続いているとのことです。
小渕首相よ、これを『被爆国』と呼ばず何と呼ぶのですか? (まして、彼ら
は“参戦国”でなくして被爆したのです!) 『私たちの苦しみがまだ足りない
というのか… 美しい太平洋での核実験は許せない…』 これは、1995年9
月にフランスがムルロア環礁で核実験を始める直前に、マーシャル諸島共
和国の代表が国連で訴えたメッセージです。一国の首相として、『唯一の
被爆国である我が国』などという認識は捨てて欲しいものです。まず日本こ
そが、この、既存のメディアにのり難い人口数万の南太平洋の小さな島国
の被爆者たちのことをいちばん理解し、ともに手を携えて反核を訴えるべき
ではないのでしょうか?
|