《Marianのひとりごと》

2002年

(1月28日)

日替わりのMarian’s Extra Pageで日々「Marianの音楽日誌」というのを綴っ
ておりますが、楽曲に対する私の主観的でかなり偏っている(らしい?)意見・感
想に対しては時おりレスポンスをいただきます。同感もあれば反論もありますが、
どちらにしてもレスしていただけるのは嬉しいことです。特に1月6日の音楽日誌
でとりあげた「明日があるさ」には複数のレスポンスをいただきましたので、あら
ためて一考させられました。
−−−−−−−−−−−−−1月6日版の音楽日誌からの転載−−−−−−−−−−−−−
             ♪ ある日突然考えた              
                 どうしてオレはがんばってるんだろう……  
オリジナル版は坂本九さんとのことですが、去年、Re:Japanやウルフルズのカバーでヒットし、紅
白歌合戦でも両グループのユニットで歌っていました。なかなかノリの良い感じの曲ですよね。歌詞
は(リメイクされたものも含めて)レトロに感じてしまうのは時代感覚の違いで仕方ないでしょうか。そ
れにしても、国内では狂牛病問題で自殺者(畜産農家の方)まで出たり、子供たちが被害者になる
事件が多発したり、海外でも同時多発テロとその報復攻撃、多くの難民等々、過酷な現実が繰り広
げられているなかで、本当に「明日があるさ…」でいいのでしょうか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−以上−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これに対して、R様からは「やっぱり、明日があるさという希望の気持ちをもつの
は大事です。『風と共に去りぬ』のヒロインも最後に『明日は明日の風が吹く』とい
って明日に希望を託すでしょう!明日という言葉、いい響きだと思いませんか?」
というメールを、そして、K様からは「ノー天気なのは日本人の欠点でもあります。
良いわけはないのですから。しかし、この国には『言霊』というのが大昔からあり
まして、良い点も認めたいというのが、私の立場です。『大和には 群山あれど と
りよろふ/天の香具山 登り立ち 国見をすれば/国原は 煙立ち立つ/海原は
鴎立ち立つ/うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は (万葉集:巻1-2)』 舒明天皇が
香具山に登って『国見』をあそばしたときの歌です。 『大和の国はなんていい国
だ』と始めから終いまで褒めちぎっています。舒明天皇亡き後、皇后の皇極天皇
が即位されます。その皇極4年(646年)大化改新が起こります。歴史に残る大動
乱を前に、のんきなことを言っている場合ではないのに、舒明天皇の歌はじつに
大らかなものです。これは『言霊』抜きには解釈を誤ります。事実以上に褒めち
ぎる必要があってのことなのです。『言霊』つまり、ことばは命を持っているという
考え方からすれば、できる限り良いことばを使わなければならないのです。良い
ことばを言えば良いことが実現し、悪いことばを言えば悪いことが実現するとす
る信仰が『言霊信仰』です。現実には、数年後に大動乱が起こってしまうわけで
すから、『言霊信仰』などは、迷信に過ぎません。しかしながら、この歌が千数百
年後の私たちの心を打つのは、何故なのでしょうか?『美しいことば』は永遠の
命を持っていると言えないでしょうか?私は『認めたい派』です。」というメールを
いただきました。

さて、「明日があるさ」という発想(この場合、歌というより発想ですね)に関しては、
私は、それじゃアカン!と頭ごなしに言うつもりではなく、どうなんだろうか… と自
分自身のなかに否定しきれない疑問を、HPでは「…いいのでしょうか?」と問い
かけてみたわけです。阪神淡路大震災の時でも、みな、「明日があるさ」という気
持ちでいました。(もちろん、その時はこの歌は流行っていませんでしたが。 ちな
みに、震災直後の被災地での放送局へのリクエスト第1位は「時代」だったそうで
す。♪まわるまわるよ、時代はまわる〜、ですね) アフガニスタンでは、1日平均
10人が地雷で命を落とすと聞きました。また、日本円にしてわずか数十円の薬
代が払えないためにきょう死んでいく子供たちが大勢いるそうです。明日じゃ遅
すぎるんです。屍となった赤ちゃんを抱いて呆然とする母親の前で「明日がある
さ」って言えるでしょうか? 私はそういう新聞記事やルポを読む度にショックを受
け、何の理屈でもなく、ただ本当に心が震えるような感じがして、明日があるさ…
と歌ってる場合なんだろうかって思ってしまったのです。新年元日の某新聞の一
面には、雅子皇太子妃に抱かれるロイヤルベビーの写真の隣に、地面を這うア
フガンの難民の赤ちゃんの写真が並んで載っていました。(新聞社がそれなりの
意図をもってそういうレイアウトをしたのは明らかですが。) やっぱり、明日があ
るさ…と歌える気分じゃなかったですね。理屈じゃなくて、です。あるいは、敢え
て理屈をつけると、きょうできる最大限の努力を怠っている身で「明日があるさ」
では虫がよすぎるような気が…というところでしょうか(苦笑)。

ちなみに、R様が引用なさった「風と共に去りぬ」のヒロインの台詞の『明日は明
日の風が吹く』は(訳者は誰だったか忘れてしまいましたが)、原語のニュアンス
をまるで変えてしまった悪訳だとよく言われています。原語では “Tomorrow is
anothe rday”で、『明日という日がある、明日に希望を託して頑張ろう…』みたい
な、とても力強い言葉です。

最後になりましたが、もうお一人、A様からもメールをいただきました。いわく、「た
かがストーカーまがいの歌に、そういう次元で疑問を投げかけなくてもいいでしょ
う。歌は歌として放っておきなさいヨ!」 あはっ、ミもフタもない!? でも、気楽に
聴けば、けっこう、いい歌なんですよね。センバツの入場行進曲にも決まったよう
ですし。考えてみれば、この歌そのものをさしおいて「明日があるさ」という語だけ
が独り歩きしたようなコメントになってしまったかもしれません。

(※ウルフルズとRe:Japanの他に、坂本九さんのご遺族の柏木由紀子さん・大島花子さん・大島
舞子さんが歌っているバージョンもあります)

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